大島&神崎の2人組ユニットとしてスタートした「後継者の軍師」は、この春44名の「後継者の軍師 認定コンサルタント」を加え、より強力な布陣となって新しい活動を開始した。何故、今、「後継者の軍師」が求められるのか? 軍師の新しい活動が動き出した2011年春、直撃インタビューを敢行した。
| インタビュー受け手: | 株式会社後継者の軍師 代表取締役 神崎 充 同パートナー(後継者軍師会会長)大島康義 |
| インタビュアー: | コミュニケーションデザイナー 石原浩巳(後継者の軍師認定コンサルタント) |
軍師アカデミーから得た価値を探る
後継者の軍師の原点
ーこの春からは44名の「後継者の軍師 認定コンサルタント」を世の中に送り出すまでになった「後継者の軍師」。その活動の原点は何だったのでしょうか?
- 神崎
- 約7年前、二人の恩師にあたる京都大学の下谷政弘先生(現 福井県立大学学長:軍師アカデミー発起人の一人)の還暦記念パーティーでの偶然の再会。始まりはその瞬間でしたね。お互いの名刺を見ると、大島さんの名刺には「後継者アカデミー」、私の名刺には「事業継承.COM」。「エッ?何?どういうこと?まさか・・・」とお互い驚きました。世の中で、そこにピンポイントで関心を持っている人などほとんど皆無でしたから。その日から実質的には「後継者の軍師」が動き始めました。
- 大島
- 当時の私は、約100億円の債務を抱えたホテルの後継者としての七転八倒の日々に幕を引いたばかりでした。自分自身が味わった後継者体験、そこから得た知恵を全国の後継者に伝え、応援する活動を模索し、ボランティア的に後継者の友人たちへの助言を始めたところでした。そして、助言すると、喜んでいただけるのです。これは価値あることなのだ・・・と実感しました。
ー大島さんの後継者体験は、他の後継者にとっても有益だったわけですね。
- 大島
はい。確固たるものにはなっていませんでしたが、感触は確かでした。私は後継者として成功を語る立場では決してありません。阪神淡路大震災があったとは言え、継ごうとしていた会社を生かすことはできず、最終的に会社は破産に至ったわけですから。しかし、だからこそ語ることができるモノもあると考えました。成功しているという話、厳密に言えば成功しているように見えている話から、人は元気をもらえます。もちろんヒントも得られるでしょう。しかし、それは必ずしも万人がマネすべきものではありません。一方で失敗には必ず原因があります。失敗の構造には普遍性があるのです。自分自身がその渦中にあるときは気づきにくいのですが、全てを失ってから振り返るとそれらが見えてきます。私はそれに気づき、自分の時計を巻き戻すことは決してできないけれど、これからの可能性を持つ多くの後継者に伝えていくことはできるんじゃないか、伝えよう!と決意したのです。- 神崎
- 大島さん自身の口からは言いにくいかもしれませんので、私から少し補足しましょう。阪神淡路大震災前までの大島さんは、外から見ると「成功している後継者」だったはずなのです。海外留学、一流ホテルでの研修を経て帰国。若くして新しいホテルの開業を担い、そこでは天皇、皇后両陛下にご宿泊いただく名誉ある仕事も果たした。華々しい話じゃないですか。当時の大島さんが講演したとすれば、きっと元気よく、明るいサクセスストーリーを話されたでしょうね。
- 大島
- 当時の私は、自分は仕事ができると思っていましたからね(笑)。実際に、かなり難しい仕事もうまく行っていました。自信もありました。しかし今思えば、後継者、近い将来経営者になる立場としては、何もわかっていませんでした。そのことが徐々に顔を出し始め、違和感を感じだしたときに大震災が起こり、全ての状況が一変したのです。従業員の問題、財務体質の問題、事業構造の問題、株式や同族の問題等々・・・そこからは全てが負のスパイラルとなって襲ってきました。でも、それは地震が引き起こしたことではなく、ずっと以前から放置されていた課題でした。
- 神崎
- 実際は、華々しい時期においても、既に内部では崩壊の回路が動いていたということですね。その崩壊に気づいていない“成功後継者”としての大島さんと、その崩壊を体験し、全てを振り返りながら本質を語る大島さん。どちらの話が有益だろうか・・・と言えば、私は後者だと断言できます。

ーその大島さんの実体験から、後継者の軍師の根底にある理念や手法が生まれてきたのですね?
- 大島
- はい。私の体験は、表面的に見れば特殊です。阪神淡路大震災は、確かに特殊要因でした。しかし、表面化した問題はどれも一般的なもの。それは私とは全く違う経験値をもつ神崎さんと議論し、本質を突き詰めていく中で、より鮮明になりました。私の体験と神崎さんの経験・見識を重ね合わせ、本質を突き詰め、普遍性のある「後継者の軍師」の原点を二人で確立したのです。
ー神崎さんは、独立前は普通のサラリーマンでした。「後継者」や「事業承継」に関する特別な接点があったのでしょうか?
- 神崎
- 大島さんのホテルや地震の話ほどわかりやすいものではないので、普段はあまりお話ししませんが、実は、私も「後継者」と隣り合わせで育ってきたのです。私の実家も会社を経営していましたし。また、大学卒業後に入社した会社は偶然にも事業承継直後の会社。私はその会社が後継社長のもとで成長を続け、東証一部上場企業となって脱皮していく10数年間のプロセスを肌で体験しました。しかも、幸いなことに、社長直轄部門や経営企画部門で経営者を間近に見て、学ぶことができ、そこで私は「後継者経営」に関する貴重な経験を積むことができたのです。
ーそんな神崎さんが得てきた学びと、後継者として大島さんが得ていた学びとの間にはギャップはなかったのですか?
- 神崎
- ギップはありません。お互いの持っていた仮説を出しあい、分析し、整理していくと、同じ本質に突き当たることの連続でした。成長した会社が全てのことで成功しているわけではありませんし、大島さんの会社のように破産した会社が全て失敗しているわけでもありません。むしろ紙一重の違いがどこかにある。それは何だろうか?何故その違いが生まれたのだろうか?と追究することで、普遍性のある本質が見えてきました。そのプロセスを経て、事業承継期における失敗の構造、悪循環回路を私たちは見出しました。現在、「事業承継の罠」と呼んでいる構造がそれにあたります。










